授業が終わると「家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲がってある大きな活版処に入って」そこでアルバイトの活字を拾う仕事をします。6時少しすぎに仕事が終わり日当をもらうとそれでパンなどを買い、病気の母親の待つ家に帰ります。
そう遠くもない活版所に行くのに三度も町角を曲がるのが面白いので、賢治はわざわざこう書いていたのです。
花城小学校はお城の中にありましたから、敵が攻め込みにくいようにカギ型に曲げた道を通らねばならず、そこで2回曲がります。モデルと考えられる大正活版所は、そのころ相生街として新しくできた道路に面していたために、もう1回曲り、合計3度も曲がったのです。この活版所の跡は現在、照井菓子店になっています。
『春と修羅』印刷所跡の石標 |
旧活版所跡の建物が菓子店に変わった「照井菓子店」と店先の石標 |
『春と修羅』初版本の箱と表紙 |
この活版所は賢治の詩集『春と修羅』を印刷した所で、賢治も活字を拾うのを手伝ったり、本店のような形だった盛岡の山口活版所(現山口北州印刷)に活字を探しに行ったりしました。その経験が作品に活かされています。