賢治・星めぐりの街」案内人

案内人:米地 文夫(岩手県立大学名誉教授、ハーナムキヤ景観研究所所長)
専門の地理学を生かした賢治研究で、賢治が作品に残した地域と関わる暗号を読み解いて、花巻に関わる作品の舞台やモデルになった人に光を当てる。

はじめに ―花巻を舞台にした大人のための物語―

 また新しい賢治の碑と賢治のネーミングを付けた場所が生まれました。それは塩竈市です。実は塩竈については賢治作品でたった一カ所、「…わたくしは小さな汽船でとなりの県のシオーモの港に着きそこから汽車でセンダードの市に行きました。」(「ポラーノの広場」)とあるだけですが、塩竈市にとっては貴重な財産なのです。

 それにひきかえ、花巻はハーナムキヤ(「税務署長の冒険」)、ハームキヤ(「毒蛾」)ハームキャ(「四又の百合」)などに出てくるほか、「銀河鉄道の夜」をはじめ多くの作品の舞台になっているのに、市民の関心が今一つなのは、宝の持ち腐れではないでしょうか?花巻の皆さんに賢治のいわゆる童話に親しんでいただきたいのです。

 賢治の書いた物語は、イーハトヴという国籍不明の外国風の不思議な世界を描いたものとされ、子ども向けの童話がほとんどであるように思われがちです。ですから、花巻とは無関係で、大人には面白くない、と思う人が多かったと思います。ところが、実は賢治童話のかなり多くの作品は、花巻のオトナの読者向けに書かれています。すなわち:

  • (1)花巻の街を舞台にした物語はかなり多い
  • (2)その花巻の街の話題や民俗などを物語としたものも多い
  • (3)大人の愛をとりあげたものもある
ハーナムキヤ景観研究所/(株)木村設計A・Tハーナムキヤ景観研究所の地図

イギリス海岸の入口に位置する「ハーナムキヤ景観研究所」(株)木村設計A・T 内

米地 文夫 プロフィール

1934年宮城県生まれ。
東北大学理学部地学科地理学専攻卒。理学博士。
山形大学、東北大学助教授、岩手大学教授を経て、岩手県立大学総合政策学部教授。同大名誉教授。
ハーナムキヤ景観研究所所長。
地形学、景観論、環境政策が専門。

賢治に関する論文

1.「猫の事務所」-建物はなくとも物語は残る-

 花巻は戦災などのため、賢治の物語の舞台となった建物はほとんどなく、残った建物でも郡役所のように移築して旧花巻市街地には無くなったものもあります。しかし、軽便鉄道の駅の近くの事務所のモデルが旧稗貫郡役所であることはよく知られています。物語の場所として大事なのです。

 この作品は“いじめ”の話として童話的に受け取られていますが、最後に獅子が出てきて事務所の閉鎖を命ずる点がわからない、とされてきました。しかし実はいじめに遭う“かまねこ"(竈猫)のいわば守護神が火伏せの獅子頭、つまり竈獅子の権現様という当地の民俗を踏まえており、また当時、郡役所の閉鎖を指令したライオンのあだ名で知られた内務大臣の浜口雄幸をも寓意するものであったこともわかりました。

 そのほか「税務署長の冒険」や「毒もみのすきな署長さん」などの作品も町のできごとや街の話題をもとにしており、賢治は花巻の風土や社会から題材を得ていたのです。

2.「シグナルとシグナレス」 ―愛の童話―

 この、いうなれば恋愛童話は、花巻でなければ生まれなかった物語です。そしてあの時代でなければ生まれなかった物語なのです。国営の東北本線と民営の軽便鉄道が分岐する花巻駅が舞台で、ちょうど軽便鉄道の優遇期間が終わり、国営化の運動の始まる時期に書かれました。街の話題を土台に愛の物語が生まれたのです。

3.「わたくしどもは」 ―物語風の謎の詩―

「シグナルとシグナレス」が愛し合うが結ばれない二人を描いているのに対し、結婚生活を描いた作品は生涯未婚の賢治にはなさそうにみえます。ところが、「わたくしどもは」と始まる無題の物語風の詩が「詩ノート」と呼ばれる一群の原稿のなかにあるのです。もしも「わたくし」が賢治ならば、彼は一年間、結婚生活を送ったことになります。でももちろんフィクションですが、なぜこのような作品が生まれたのでしょう。

 羅須地人協会時代、賢治は「下ノ畑」でトマトなどの野菜のほか、ヒヤシンスやチューリップなどの西洋草花作りをし、それを街に売りに行ったことから、考えてみました。 そして、この詩は鶴女房や菊女房などと呼ばれる民話を踏まえているとともに、賢治がひそかに想った花のように美しい女性(例えばコスモスの君と謳われた遠藤智恵子など) の姿が投影されているのかも知れません。 おぼこの代わりに作品を書いた、と賢治が言ったと伝えられていますが、奥さんの代わりに花を愛で、星を愛でたのかもしれません。

4.星蒔き人・花蒔き人宮沢賢治の愛と願いの街・花巻

 土井晩翠の詩「星と花」に「み空の花を星と云ひ/わが世の星を花といふ。」とありますが、賢治はこれを童話「ひのきとひなげし」の中で、ひのきの言葉として「あめなる花をほしと云ひ/この世の星を花といふ。」と使いました。星めぐりの街「花巻」を、この世の星、すなわち花めぐりの街、そして賢治好みの木々をめぐる街にできたら素晴らしいですね。

 賢治の物語の街は、建物、食べ物、花物、の三つで創りたいのですが、なによりも大事なのは物語そのものです。賢治の愛や願いをこめた物語を花巻の人々が愛し、その物語の星々を花巻の街に花のように蒔いた賢治の作品を理解していただきたいのです。

おわりに ―菊池邸と「黒ぶだう」と「惜別の歌」―

 セミナーの第一回目には賢治の「黒ぶだう」を取り上げ、その舞台となった菊池捍邸で昼食会を行いました。菊池捍邸は賢治作品の舞台となった建物が残っている貴重な例です。「黒ぶだう」は仔牛と小狐がベチュラ公爵別荘に入り込み、黒ブドウを盗み食いするという話で、別荘に武家屋敷風の「わき玄関」があることから、菊池邸がモデルであることがわかりました。そこへ公爵と友人の伯爵と娘が帰ると、ブドウの露を吸っていた狐はさっと逃げ、残された仔牛は黄色いリボンを娘からもらうという淡泊な作品です。

 しかし実はこれは愛の寓話で、島崎藤村と恋人佐藤輔子とが、小狐とブドウに譬えられており、一方、仔牛と娘は菊池捍と淑夫人(輔子の妹)とが寓意されているらしいのです。 藤村の小説『春』の登場人物のモデルが藤村自身と恋人輔子、妹淑であることは、当時、有名でした。

 また、輔子への失恋とその輔子の結婚と夭折に受けた心の悲傷から生まれた詩集『若菜集』には、狐が恋の象徴であるブドウを盗もうとする詩の「狐のわざ」や、妹淑が嫁ぎ行く姉輔子とをモデルにした詩にした「高楼」があります。 その高楼の「姉」を「友」と置き換えた「惜別の歌」は戦後、歌ごえ喫茶などで愛唱されました。

 その淑さんの建てた菊池邸が残るよう、花巻の街が賢治の物語を踏まえて星めぐりの街として活性化するよう願いつつ、杉本摂子さんとともに「惜別の歌」と「星めぐりのうた」を皆さんとともに歌って、私の六回のセミナーを終わることにいたします。

銀河鉄道のイラスト
花巻商工会議所 賢治・星めぐりの街づくり推進協議会
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