賢治は自分の故郷・花巻で、充電・飛躍した。
賢治の人生にも大きな影響を与えた時期があります。 それは、大正3(1914年)盛岡中学卒業から大正4年(1915)盛岡高等農林学校に入学するまでの1年間、家業を継ぐために花巻に戻りながらも学業への夢を捨てられず、悩み迷っているブランクの時代です。
決して優等生ではなかった盛岡中学時代の賢治から、主席で入学し主席で卒業する盛岡高等農林時代。学業へのモチベーションだけをみても、この1年間が賢治に与えたものの大きさが分かりますが、賢治のさまざまな文学作品の萌芽が、この花巻時代に見られます。
賢治は、悩みと迷いのに気分転換か、散歩がてらかどうか花巻のお城に出かけます。花巻城は、その当時建物は残っていませんでしたが、二の丸には鐘楼があったといわれる四角山(賢治は、四ツ角山と表現)がありました。高さだけなら現在東側の本丸の展望台よりすこし高かったかもしれません。この四角山を舞台に賢治は『めくらぶだうと虹』とその進化した形の『マリブロンと少女』の作品を書いています。また、花巻城は「ナーナムキヤ城」として『四又の百合』の作品に登場しています。
北側の花巻町と花巻川口町を分けていた当時の「花巻のお城」は草木と堀、本丸や二の丸の空間、また鐘楼跡など荒城の持つ一種独特の存在感によって賢治の創作意欲を欠きたてたと思います。
その後賢治は、花巻の町を舞台にたくさんの作品を書いています。この作品はもしかすると、賢治のこの1年間に着想されたものが多いのではないかと感じられます。
代表作である『銀河鉄道の夜』の場面、作品の舞台が確定的な『黒ぶだう』、そして花巻祭りを舞台にしたと思われる『祭りの晩』『黄色いトマト』さらに『シグナルとシグナレス』『猫の事務所』『イーハトーボ農学校の春』『税務署長の冒険』『毒もみの好きな所長さん』『山地の陵』『うろこ雲』『花壇工作』『さいかち渕』花巻の郊外では『二十六夜』『台川』『なめとこ山の熊』などのモデルとなった舞台が広がっています。