「猫の事務所」のモデルが“稗貫郡役所”であることは「軽便鉄道の停車場のちかくに」という書き出しで分かりますが、実は原稿の段階では“アフリカの大きな野原のまんなかに”と書いてあります。賢治はライオンこと浜口内相を連想させるように、アフリカの草原にしようとしたのかもしれません。この駅は岩手軽便鉄道本社前につくられていました。
岩手軽便鉄道 「鳥谷ヶ崎駅」跡の石標と詩碑 盤面には、賢治の詩「岩手軽便鉄道七月(ジャズ)」の |
石標の前の街並み |
「岩手軽便鉄道株式会社本社」大正14年花巻・遠野間全通式 (花巻市博物館蔵) |
賢治は「停車場」という語を用い、駅とはほとんど書いておりません。そういえば駅という言い方が一般的になったのは戦後のことで、“テイシャバ”という響きは不思議に郷愁を誘いますね。