ジョバンニが街をゆくと、ケンタウル祭りの飾り付けが美しく「電気会社の前の六本のプラタナスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんたうにそこらは人魚の都のやうに」見えたというのです。
大正元年11月に初めて花巻町に電気が供給された時の会社名が花巻電気会社でした。その会社の役員として社長に次ぐ、ナンバー2の取締役は母方の祖父宮沢善治、監査役には父・政次郎が加わっており、いわば身内の会社のように賢治は感じていたでしょう。
のちに、盛岡電気会社に合併、さらに盛岡電灯と改称、奥羽電灯に併合し、現在は東北電力・・・・、と変遷しました。
最初の名前の「電気会社」が通称となりましたが、時には電燈会社と呼ばれたこともありました。
現在は、マンションの |
裏手(西側)の大堰川には、プロムナードや風情のある橋が造られています。 |
大正元年、賢治が盛岡中学校4年生の時、ようやく花巻に電燈がともったのですが、それでも岩手県では盛岡に次ぐ二番目でした。どんなに感動したかが、賢治の作品からもわかります。感動といえば、賢治はアンデルセンの童話が好きでしたが特に人魚姫に感動したようです。