賢治作品と花巻の街

カムパネルラの捜索現場のモデル「朝日橋」とその下流

『銀河鉄道の夜』

・・・・・前文略

そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。

 ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集って橋の方を見ながら何かひそひそ談しているのです。それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。

 ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。そしていきなり近くの人たちへ
「何かあったんですか。」と叫ぶようにききました。

「こどもが水へ落ちたんですよ。」一人が云いますとその人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。白い服を着た巡査も出ていました。

 ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へおりました。

 その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。

 河原のいちばん下流の方へ洲のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。マルソがジョバンニに走り寄ってきました。

「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」

・・・・・・以下略

カムパネルラの捜索現場は、朝日橋のたもとから下流地域がモデル

 川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。

 この「橋のやぐら」の表現からやぐらのようの上部を高く組み上げたトラス橋であることがわかります。当時の花巻の十字路からは北上川に架かる朝日橋(ワーレン型:写真が昭和7年完成)が目を引いていたと思います。

「ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へおりました。・・・」「・・・河原のいちばん下流の方へ洲のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。」

 この文章から橋の袂に下りることができ、しかもその下流は州になっている場所がある。袂からおりたとしても、その下流が中州になっているということは、中洲に下りることができる袂があることになります。賢治作品を描く多くの絵本作家がそんなイメージにとまどう表現です。但し、当時の朝日橋の形状を考えると合点がいきます。今は、もう切り替えられてしまっていますが、朝日橋の下に支流の瀬川が流れ込み、瀬川と北上川が平行して下流で交わるために、下流に中州ができていました。(図参照)

 この表現を見る限りカンパネルラの捜索現場は、花巻の朝日橋と下流の中洲(写真、現在も面影がある。朝日橋と中州)と考えられます。ジョバンニが暮らす街は、やっぱり花巻がモデルと考えられます。

(米地 文夫:ハーナムキヤ景観研究所)

現在の朝日橋

現在の朝日橋

瀬川と北上川が合流していたころの地図(複製)
銀河鉄道のイラスト
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