豊沢町・東町・里川口界隈
賢治の生家と生家の隣の蔵
賢治が生まれた家は「豊沢小路」と呼ばれた豊沢町の通りにあり、当時は商店街としての賑わい父政次郎が質屋を営業していました。この場所の住宅は建て替えられましたが、いまも賢治のご親族が暮らしています。
東町には、御旅屋があり町の広場としての機能を持っていました。賢治の時代「花巻祭り」の開催日は、境内のお堂(火災で焼失)に鳥谷ケ崎神社の神輿が泊まり、境内にはサーカスや見世物小屋が建ち、珍しい象や虎、ライオン等もやってきました。また、現在ホテル花城のある場所には、朝日座という演舞場の舞台があり、周囲も露店がたくさん建ち並びました。
山男が団子のお礼に薪と栗を置いていく『祭りの晩』のイメージ舞台は、御旅屋にやってきた見世物小屋と露店です。あまりのにぎやかさに、山男も浮かれて迷い込むほどの盛大な花巻祭りは今も続いています。
上町から、まっすぐ東の北上川方面に進むと、右手に「菊池 捍」邸があります。この菊池邸は『黒ぶだう』のベチュラ公爵邸のモデルであり、この「菊池 捍」氏を取り巻く人間関係を寓話化したものが『黒ぶだう』で、花巻市出身の初代北大総長「佐藤 昌介」や「島崎 藤村」がその中に隠されています。
さらに東に進むと「北上川」に架かる朝日橋があります。この朝日橋は賢治がなくなる1年前に完成した橋で北上川に架かるワーレントラス橋で鉄骨のやぐらを組んだような特徴を持っています。この橋も『銀河鉄道の夜』に登場する橋「橋のやぐら」のモデルと考えられます。
当時は、西側の「瀬川」を渡る「瀬川橋」と北上川を渡る「朝日橋」の二つの橋がつづいていました。そしてこの2つの川は、朝日橋の下流で合流し、その合流点の前は中洲とは異なりますが中洲のような型になっており、瀬川橋と朝日橋の間から直接そこに降りることができました。
この場所は『銀河鉄道の夜』の中で水に落ちたカンパネルラを探す人々が「河原のいちばん下流方の洲のやうになって出たところに人の集まりがくっきりとまっ黒に立っていました。」の表現にぴったり一致します。この川岸が重なる洲になっていた場所が作品の中のカムパネルラが川に落ち、捜索される場所のモデルと考えられます。
この場所は、その後瀬川が上流で切り替えになり、2つの川が交わっていませんが、その中州の面影が残っています。毎年8月に「イーハトーブフォーラム」のイベントとして花火大会がこの場所付近で行われています。